2 科学的問題解決と因果推論の基礎
2.1 科学的問題解決の全体像
前章で学んだ科学的方法は、観察・仮説・検証・理論化という流れで進む。しかし、現実の研究や社会的課題の解決は、理想通りの環境で行えるとは限らない。実験設備が整わない、膨大なコストや時間が必要、倫理的制約で実施できない――こうした制約は、科学の現場では日常的に直面するものである。
それでも科学者は、問題の本質を見極め、確かな知見を得るために多様なアプローチを組み合わせる。本章では、現実的制約下でも科学的探究を可能にする三つの代表的手法――思考実験、計算機シミュレーション、ヒューリスティックス――を解説する。さらに、これらの手法を活用する際に不可欠な「因果関係と相関関係の理解」についても基礎から学び、誤解や推論の落とし穴を避ける方法を探る。
2.2 思考実験(Thought Experiment)
定義と役割
思考実験とは、物理的な装置や実験を用いずに、頭の中や紙上で理論的な状況を組み立て、その結果や矛盾を検討する方法である。現実に行うには危険・困難・不可能な条件下でも、理論の枠内で自由に条件を設定し、論理を展開できる。このため、科学史の転換点となる発見の多くが、思考実験から生まれてきた。
歴史的事例
ガリレオ・ガリレイは「重い物体ほど速く落ちる」という当時の常識を打ち破るため、重い球と軽い球を紐で結び同時に落とすという思考実験を行った。もし軽い球が落下を遅らせるなら全体は遅くなるはずだが、質量の合計は大きくなるため速くなるはず――この矛盾から、落下速度は質量に依存しないという仮説に至った。
アルベルト・アインシュタインは、光速で走る列車の中で光がどう見えるかを思考実験で検討し、時間の伸縮や同時性の相対化という特殊相対性理論の核心にたどり着いた。実際に光速列車を用意することは不可能だが、理論的状況を緻密に検討することで既存の物理観を覆したのである。
現代的応用
現代では、倫理的制約や安全性の問題から、生命科学や宇宙工学などで思考実験が活用される。たとえば「人類が火星で生活する場合に必要な最低限の大気条件は何か」を机上で検討し、ミッション設計の基礎とすることも思考実験の一例である。
長所と限界
思考実験は設備や費用が不要で、極端な条件や仮想世界でも検討可能という利点を持つ。一方で、現実の複雑さや予期しない要因を反映できないため、最終的には実証的検証が不可欠である。また、思考者の先入観が無意識に前提へ入り込む危険性もある。
2.3 計算機シミュレーション(Computer Simulation)
意義と背景
計算機シミュレーションは、コンピュータ上に現象を数学的モデルとして再現し、その挙動を計算によって解析する方法である。現代科学では「理論」「実験」に加え、「シミュレーション」が第三の柱として確立しており、気象予測から新薬設計、宇宙探査まで幅広く利用されている。
基本プロセス
- モデル化:現象を数式や論理で表現(例:流体力学方程式による大気モデル)。
- アルゴリズム実装:計算手順をプログラム化。
- 初期条件設定:観測データや仮定を入力。
- 計算と解析:結果を可視化し、実測データや理論と比較する。
応用事例
- 天気予報:気温・気圧・湿度・風向などのデータをもとに数値予報モデルを回し、防災や農業計画に活用。
- 新薬開発:分子構造や結合エネルギーを計算し、有効な候補物質を事前に絞り込む。
- 宇宙探査・気候変動:ロケット軌道の最適化や地球温暖化シナリオの評価。
長所と課題
シミュレーションは実験困難な現象を安全・低コストで再現できる反面、モデルの妥当性や入力データの正確性に強く依存する。複雑な現象を詳細に再現するには膨大な計算リソースも必要となる。
2.4 ヒューリスティックス(Heuristics)
定義と意義
ヒューリスティックスは、経験や直感を活かして迅速に問題解決の糸口を探る手法である。厳密な理論検証を経ずとも、「まずこれを試す」といった経験則によって探索の方向性を決定できる。
事例
- 日常生活:車が動かないときにまずバッテリーを確認する、パソコンが不調なときに再起動する。
- 研究開発:全条件を理論的に網羅するのは非現実的なため、大まかな仮説を立てて試作品を作り、問題があれば部分的に修正する。
長所と限界
ヒューリスティックスは時間やリソースが限られる場面で有効だが、バイアスや思い込みによる誤判断のリスクがある。科学的普遍性や再現性に欠けるため、最終的な結論には必ず厳密な検証を組み合わせる必要がある。
2.5 問題解決のステップと手法の位置づけ
科学的問題解決の典型的な流れは以下の通りである。
- 問題定義・目標設定
- 情報収集と仮説立案(思考実験やヒューリスティックスで方向性を検討)
- 検証方法の選択(実験、シミュレーション、観察)
- 実行と観察
- 評価と結論
- 応用と展開
思考実験は初期段階の構造把握に、シミュレーションは複雑・危険・大規模な現象に、ヒューリスティックスは迅速な対応に適している。
2.6 因果関係と相関関係
定義と違い
因果関係は、ある要因が他の事象を直接的に引き起こす関係であり、相関関係は二つの変数が同時に変動する統計的関係である。相関があるからといって必ずしも因果があるとは限らない。
誤解の例
夏にアイスクリーム消費量と水難事故件数が共に増える現象は、暑さという第三の変数(交絡要因)が両方に影響している擬似相関である。
因果推論の方法
- ランダム化比較試験(RCT)
- 自然実験
- 統計モデル(回帰分析、差分の差分法、傾向スコア法)
- 時系列分析(グレンジャー因果性)
公衆衛生分野ではブラッドフォード・ヒルの基準(時間的順序、一貫性、強さ、生物学的妥当性など)が因果判定に利用される。
2.7 科学的姿勢と応用
因果推論の理解は、教育政策、経済施策、医療効果の評価、環境対策など、実社会の意思決定に直結する。AIや機械学習は高精度の予測を行えるが、因果構造を理解しないままでは誤った政策判断につながる恐れがある。科学的問題解決では、常に反証可能性を意識し、多角的な方法で検証する姿勢が求められる。
第2章 まとめ
本章では、思考実験・計算機シミュレーション・ヒューリスティックスという三つの問題解決手法を学び、それぞれの特徴と限界を整理した。あわせて、因果関係と相関関係の違い、因果推論の方法と注意点を理解したことで、複雑で制約の多い状況でも誤りの少ない推論と判断が可能になる。次章では、この因果推論を統計的手法や測定の視点からさらに掘り下げ、科学的なデータ利用の方法論を学んでいく。